暑さも和らぎ、ホッケーをするにはもってこいの時期なだけに毎月開催できないのが残念ですが、今回は皆さん清々しい表情でホッケーを楽しんでみえたように思います。暑さとの戦いから逃れ、ホッケーの技術・戦術等にしっかり向き合うことができたのではないでしょうか。今月28日(日)に、再び集合です!
▼フラーテル・カップ2012の様子
▼フラーテル・カップ2012の様子
日本中の期待を一身に背負いながら、あっさりと結果を出した。2008年北京五輪。北島康介は男子平泳ぎで日本競泳界初となる2大会連続2冠を達成し、新たな高みに上った。その輝きは他の追随を許すことはなかった。
04年アテネ五輪の男子平泳ぎ2種目で金メダルを獲得。五輪王者として北京を迎えた北島だったが、「追われる立場」のプレッシャーをものともせずに男子100m平泳ぎを58秒91の世界新記録で制した。そして迎えた200m決勝。もはやライバルはいなかった。水の抵抗を極限まで減らし、ぐいぐいと伸びる大きな泳ぎで他の選手を引き離す。終わってみれば、五輪新記録の2分7秒64で2位に1秒以上の差をつけての圧勝。「自分一人でここまでは来られなかった。この喜びを皆さんと分かち合いたい」。勝利の余韻をかみしめた。
「ぼくは水泳をならっている。速くなろうとしている。そして、大きな夢ももっている。それは速くなって、国際大会でメダルを取り、日本の代表選手に選ばれて、オリンピックに出ることだ」。小学校の卒業文集にそう記した北島は、五輪とともに飛躍を続けてきた。17歳で2000年シドニー五輪に初出場し、100m平泳ぎで4位に。五輪出場という夢を実現させたが、満足することはなく、「どんな大会よりも特別」と五輪への思いをそれまで以上に強くした。
さらなるレベルアップを目指し、「チーム北島」と呼ばれる動作解析や肉体改造の専門家らのサポートを得ながら、練習に取り組む日々。そして02年の釜山アジア大会の200m平泳ぎで、日本選手として30年ぶりとなる五輪種目での世界記録更新を成し遂げるなど、着実に進化を続け、アテネ、そして北京の結果につなげた。
北京五輪後、プールから距離を置いた時期もあったが、09年6月ごろから拠点を米国に移して練習を再開し、12年ロンドン五輪にも出場。個人種目でのメダル獲得はならなかったが、400mメドレーリレーで存在感を示す。チームメートが「康介さんを手ぶらで帰すわけにはいかない」と発奮して2位に入り、この種目で3大会連続のメダルを獲得した。
北島にあこがれ、そして目標にしてきた子供たちも育ってきている。今年9月に200m平泳ぎで2分7秒01の世界新記録をマークした高校生、山口観弘は小学生だったころ、北島のポスターに「おまえをぬかす」と書き込んだという。北島が日本水泳界に与えた影響は計り知れない。敬称略=(謙)
(提供 日本トップリーグ連携機構)
得意の内股は相手がいくら警戒しようと関係なかった。バルセロナ五輪柔道78kg級決勝。十分な組み手から左足を跳ね上げると、米国選手の体は軽々と宙を舞った。
日本勢ではロサンゼルス五輪の山下泰裕以来となる史上4人目の全試合(6試合)一本勝ち。圧倒的な技の切れで世界一となった吉田秀彦は両拳を天に突き上げ、涙にくれた。「これは現実なのか」。それまでの逆境を振り返ると、とても信じられなかった。
22歳の新鋭は初めて五輪代表に選出された後、5月末の試合で左足首を捻挫してしまう。直前の強化合宿ではほとんど本格的な練習ができず、上半身の筋力トレーニングなどに専念せざるを得なかった。吉村和郎コーチが「怪我だけでなく、内臓を壊したこともあった。二重のショックでね。五輪に出られるか不安になった」と言う程のどん底をさまよった。
吉田を苦しめたのは自身の怪我だけではなかった。もう一つは敬愛する先輩・古賀稔彦の怪我である。
現地入りした吉田は五輪本番を10日後に控え、古賀と稽古していた。コーチ陣には、調整が遅れている吉田の気力を上向かせようとの目論見があったのだが、その最中、古賀が左膝を痛めてしまう。「ポックンという靱帯が切れる音がしたんです」と吉田。凍り付くような嫌な音は、畳に倒れ込んだ古賀の悲鳴とともに耳の奥にこびりついた。
吉田は中学3年の春、愛知・大府市から東京の柔道私塾「講堂学舎」に飛び込んだ。そこに2学年上の古賀がいた。以来、付き人に付き、同部屋で過ごし、文字通り寝食を共にしてきた仲だった。
信頼し合う者同士だからこそ、激しい稽古となり、起きてしまったアクシデント。とはいえ、金メダル確実と言われた“日本のエース”が、満足に歩くことさえできない危機に立たされたことは紛れもない事実だった。口さがない外野の非難は、すぐ人づてに聞こえてきた。
「すみません」と頭を下げる吉田を、古賀は「気にするな」と励ました。重苦しい負い目の中で、一本気な吉田は自身にノルマを課す。「金メダル獲得」。続いて出場する古賀に弾みがつけば、と考えてのことだった。そして、集中力を研ぎ澄まし、見事、金メダルを掴んでみせた。
「早く古賀先輩に『勝ちました』と報告したい」
試合後、絞り出した声には、苦悩の大きさがにじんでいた。=敬称略(志)
(提供 日本トップリーグ連携機構)
日の丸を背に大きく掲げ、あふれる涙をそのままに、スタンドの声援に応えた。2012年ロンドン五輪レスリング女子48kg級。31歳の小原(旧姓・坂本)日登美は「勝っても負けても引退」と決めて臨んだ初の五輪を、優勝という最高の結末で飾った。
51kg級時代を含めて世界選手権を8度も制しているベテランだが、五輪の舞台とは縁遠かった。レスリング女子が正式種目に決まったのは2001年。その前年の2000年と01年の世界選手権で51kg級を2連覇した小原は、五輪を見据えて悩んだ。採用されたのが48、55、63、72kg級の4階級だったからだ。48kg級に落とせば妹の真喜子がいる。55kg級を選ばざるを得なかった。02年の全日本選手権。女王・吉田沙保里に挑んだ。どこまで迫れるか…思いは無残にも打ち砕かれた。完敗、あっという間のフォール負けだった。落ち込んだ気持ちを引きずったまま帰郷。いつしか自宅に引き籠もり、うつ病に。過食で体重も70kgを超えた。
青森県八戸市出身。小学3年で競技を始め、高校3年で全国大会に優勝。中京女子大(現・至学館大)2年のときには世界選手権51kg級を制した。頂点を知るからこそ、“闇”もまた濃く深かった。「強くない自分には価値はない」。どうしてもこの思いが脳裏を離れない。そんな小原を家族は支えた。母は仕事を休み、付き添った。父も睡眠時間を削ってジョギングなどに連れ出した。徐々に平静さを取り戻し、再起を果たす。そして07年に再び55kg級に挑戦。だが、このときも壁を破ることはできなかった。北京五輪出場の夢は潰え、08年に再び引退。コーチとして妹を支えた。だが、妹も五輪に出場できずに引退を決意。このとき「お姉ちゃんに(五輪への)夢を引き継いで欲しい」と訴えかけられ、09年12月に再び現役に復帰した。選んだのは48kg級だった。翌10年と11年の世界選手権を48kg級で2連覇し、満を持して挑んだ五輪、それがロンドンだった。
気迫に満ちた表情で初戦から勝ち上がっていく小原。スタンドには、苦しいときを支えてくれた両親、妹の真喜子、そして10年に結婚した元選手でもある夫の姿があった。そして迎えた決勝。相手は北京銅メダルのマリア・スタドニク(アゼルバイジャン)。第1ピリオドは、開始20秒でいきなり1ポイントを奪われ、1分40秒にはローリングなどで3ポイントを取られ落とす。しかし、第2ピリオドを取ってタイに持ち込むと、第3ピリオドは、17秒に足を取って場外に出し1ポイント。48秒にはバックに回り1ポイントを追加し、そのまま逃げ切った。勝利の瞬間、小原は両手を天に突き上げた。両ひざをつき、マットを叩いて歓喜した。涙が自然とあふれ出ていた。まさにどん底をくぐり抜けてつかんだ悲願の金メダルだった。
試合後、改めて引退を表明した小原。今後を尋ねられると、「家族や主人に支えられ、これまで主婦業をサボっていた。主人にご飯をつくってあげたい。妹とは“ママ友”になりたい」と語った。そのはにかんだ笑顔には、長かった挑戦の日々を終え、ホッとしたような思いものぞいていた。=敬称略(昌)
(提供 日本トップリーグ連携機構)
▼フラーテル・カップ2012の様子
▼シャトレーゼカップの様子1
▼シャトレーゼカップの様子2
▼シャトレーゼカップの様子3
▼名古屋国際中学校との集合写真
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4月15日(日)17:00から、名古屋市中区において「フラーテル・カップ2012」の実行委員会が開催されました。
各リーグ代表者より、昨シーズンを振り返っての報告と今後の課題が提案されました。更に、2012年度の運営方針、実行委員、組織体制、運営規程、参加費等が検討され、最後に各リーグに分かれてそれぞれのリーグ運営方法等の打ち合わせを行いました。
トップリーグにおいては、6人制と11人制の組み合わせ方法等について検討されました。ミックスリーグでは、参加チームの技術力・体力の差に伴う安全性の確保、対戦方法の改善、ローカルルールの適用の提案が行われました。ジュニアリーグでは、子どもたちの更なる飛躍を願って、コーチ陣が工夫を凝らしたプログラムの提案が行われました。
今シーズンも盛り上げていきましょう!