岡崎にジュニアホッケーチームが誕生!

2010年 10月 3日

 5月にウィル大口スポーツクラブで県内4つ目のジュニアホッケーチームがスタートいたしましたが、この10月から、岡崎市においてNPO法人ワスパによりジュニアホッケーチームをスタートすべくトライが始まっています!
 場所は、矢作東小学校の第2グランド。コーチは元日本代表選手の三好コーチです。この日は、高学年のグループと低学年のグループで15名ほどの参加者がホッケーを楽しみました。すでに8,9月の体験会から参加して頂いている子たちも多く、上手にスティックを操っていました。ご父兄の中にも一緒に参加して頂ける方もあり、非常にアットホームな雰囲気の岡崎ジュニアホッケーチームがスタートです。

▼コーチング中の三好氏
岡崎ジュニア風景1

岡崎ジュニア風景2

【ホッケースクール拡大へ】

2010年 10月 2日

 今回10月2日のホッケースクールは10時に集合。いつもの中学生のメンバーに、愛知県内から参加を募り拡大したホッケースクールを行いました。コーチ陣もいつもより増員し、ちょっとにぎやかなスクールとなりました。はじめに、全員で打ち合わせ、ウォーミングアップを行ったあと、ダッシュやターンなどホッケーに必要なフィジカルトレーニングを実施。そして基礎の技術練習。はじめは、普段、あまり顔を合わせないためよそよそしい時間帯がありましたが、さすが今時の中学生、すぐに打ち解けおしゃべりを始めていました。その後、男女に分かれてグループ練習。攻撃陣は、2対1からのペネトレーション〜最終攻撃シュートまで。守備陣はチャネリングからダブルディフェンス、ブロックの練習を繰り返します。とにかく決着がつくまでプレーを止めないことをコーチから強調され、普段の甘さを厳しく指摘されながら学んでいきました。最終的には、11人制の試合を実際に行い、攻撃と守備のフォーメーションを固めながら、夕方まで行いました。
 始めたばかりの子もいれば、すでに2年経験している子もいる。プレーの内容に非常に開きがありました。中学生は特に体が大きく成長する時期でもあり、バランスのとりにくい状態になります。
 愛知スポーツ倶楽部では、子供たちの成長に合わせ、あまり無理な負荷をかけすぎず、ウォーミングアップ、クールダウンをこのころからしっかりと行っています。一方、この時期は技術習得には非常に適している時期であることから、トップのコーチ達を当てて、選手個々の技術的な成功に力を入れています。とにかく、一人でも多く次の段階に送り込むべく、きめ細やかに指導をしていきます。

HS練習風景1

HS練習風景2

HS練習風景3

HS集合写真

第3回コーチングセミナー2010

2010年 10月 1日

 第3回のメインゲストは、シドニーオリンピックで女子の決勝戦を吹いたことで有名なアンパイヤーの安枝和子さんです。もちろん、日本においては、ただ一人の経験者であり、その存在は非常に貴重であると思います。地元からは、同じ審判仲間でもあり、また、東海ブロックの審判長を務める大橋俊彦氏においで頂きました。
 一般的にチームと審判、指導者と審判は、何か一つの対立軸のようなもので話されることがあります。また、コーチに近い現場サイドでは、「絶対に審判だけはやらない」「文句ばかり言われて割に合わない」など、非常にネガティブに語られることが多かったと思います。しかし、彼女は審判は試合を構成する一つの必要な存在の一つに過ぎないが、常に公正さを保つために、またゲームがあれないようにコントロールするために、日頃からトレーニングを積んでいること。そして、決定的な瞬間に自分が判断をしなければならない責任を背負ってゲームに臨んでいること。そして、ゲームを構成する利害関係者が皆でいいゲームができるよう努力と協力をしていけば、ホッケーはさらに発展していくと力づよく訴えてくれました。非常に前向きではっきりと断言するその力が、彼女のアンパイヤとしての資質であることがよくわかりました。大方の高校や中学の指導者の方はすでに行っていることではありますが、ぜひともコーチの方も審判員の資格を取りましょう。審判員の資格を持てば、ルールがあやふやでなくはっきりとわかります。またゲーム中の審判の心理状況が概ねわかります。そういったことを理解したうえで、練習や試合に臨めば、間違いなくもっといい指導ができるはずです。審判員をないがしろにするスポーツは絶対に発展しません。そういった意味からも、今後の安枝さんの活躍から目が離せなと感じました。安枝さん、大橋さん、どうもありがとうございました。

▼第3回コーチングセミナー2010 セミナー様子
コーチングセミナー2010.3-1

コーチングセミナー2010.3-2

【フラーテル・カップ2010 9月】

2010年 9月 29日

 やっと暑さが一段落した9月26日、庄内緑地公園において9月度のフラーテル・カップが開催されました。今回は、午前中にトップリーグが行われました。その中で特に目につくのが三好クラブ。今年は、何か一味もふた味も違います。本来であれば、残念ながら三好高校にホッケー部がないので、新規加入の可能性が非常に低いため、毎年一つずつ平均年齢が上がっているにも関わらず、例年よりハイペースで勝利数を伸ばしています。こりゃ今年は台風の目になるかも?他の各クラブは新規加入の選手が多く、フレッシュな顔ぶれとなっており、今年も社会人の優勢は続きそうです。頑張れ!高校チーム!
 午後からは、ミックスリーグ及びジュニアリーグが開催されました。子供たちは元気いっぱい、走り回っています。その奥に写っているのは、もしかして、さむらいジャパンヘッドコーチのシギーさん!?もしかして、その奥に背中が移っているのはもしかして、元さくらジャパンのさかえ選手!?フラーテル・カップってどんなリーグ?びっくりです。

▼フラーテル・カップ2010 9月
FC2010.9-1
FC2010.9-2

女子ホッケーの魅力

2010年 9月 27日

 先月、女子ホッケーワールドカップが行われました。ご案内のとおり、この大会はインターネットで全試合とも全世界に生中継されました。素晴らしいことです。この大会の決勝戦を見て素直に感じたことが「女子ホッケーは面白い」ということです。コスチュームの話ではありませんよ。また、もちろん、男子ホッケーがつまらないという意味合いの話でもありません。何が面白いかというと、(男子と比べてという表現だと語弊がありますが)判断する余裕があるということです。男子の試合においては、当然女子よりもスピードがあり、またパワーも大きいのでホッケーそのものはダイナミックさが違います。しかし、男子ホッケーの場合はスピードがある分、相手に早く接近してしまうこと、また接近するのもスピードがあるため、次のプレーで何をすべきかという判断をする暇がありません。ましてや、今はプレスディフェンス全盛の時代であり、パスコースも消されてしまうため、結局意図的に反則を取ってマイボールにすることが精いっぱいとなってしまっている状況が多く見られます。トップレベルにおいては、ボールが来る前に判断しているダイレクトプレーなどまた違った魅力もあると思いますが、女子ホッケーの場合は、ボールが来てからの判断で充分に間に合っているといえます。従って、相手の守備の状況を見ながら、または味方のフォワードの動きに合わせたパスを、しかもフェイントを掛けながら出すことができます。そのパスが見事に通ったりすると、そしれそれがゴールにつながったりすると、本当にきれいでホッケーらしさを実感できます。
 おそらく、今後は女子も男子並みのプレスとスピード化が進んでくると思いますが、ホッケーのルール、使っているフィールド、ゴールの大きさ、サークルの広さ、ボールの大きさ・重さ、スティックの長さ・形、フィールド上の選手の人数が同じである以上、男女の体格差が全く同じになるまでは、明らかにこの状況の違いは続くと思います。女子ホッケーは判断力の行使が容易な分、見ている方にも予測がつきやすい為、ホッケー自体が見やすく面白いという話でした。今まで男子ホッケーしかご覧になっていない方は、今後、そういった見方で女子ホッケーをご覧になっていただければ、内容がよくわかるのではないかと思います。同時に、男子の指導者は、選手の判断力をどのように育成していくかが問われる時代に入っていることを自覚しなければなりません。そして、いかにあの強烈なプレスを回避するのかを学ぶ必要があります。そうでなければ、ホッケーらしいホッケーができないまま試合が終わってしまうことになります。型にはめて形だけ覚えさせるやり方もありますが、それは判断力ではないことを十分に理解してから指導して下さい。判断のスピードを上げるためにどうしたらいいのか?こうしたらいいのではないかという意見をお待ちしています。

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【コラム】「次世代に伝えるスポーツ物語」 第7回 柔道・山下泰裕とラシュワン

2010年 9月 15日

 世界最強の柔道家、山下泰裕は焦っていた。1984年のロサンゼルス・オリンピック大会、無差別級決勝戦。日本のお家芸として、エースに敗北など許されない。その重圧の中、2回戦で右足を負傷した。準決勝までは持ちこたえたが、痛みはもはや限界に達していた。決勝の相手はエジプトのモハメド・ラシュワン。体重140キロの巨漢に、力の入らない右足を攻められたら…。結果は、容易に想像がついた。
 試合開始の合図。早々にラシュワンが投げ技の「左払い腰」を仕掛けてくる。その瞬間、山下は体を引いて相手の投げをかわし、バランスを崩した相手を床に組み伏せた。押さえ込みの「横四方固め」。立つ力は、右足には残っていない。勝つにはこれしかない。上半身の筋肉をきしませ、必死に押さえつける。10秒…20秒…。ラシュワンの両腕の力が、観念したかのように緩んだ瞬間、やっと勝利に気がついた。
 子供のように、顔をくしゃくしゃにして喜ぶ山下。だが、表彰台のてっぺんに上ろうとしたが、右足に力が入らない。無理やり足を上げようとしたそのとき、誰かの太い腕が横から伸びて、自分の身体を支えた。傍らを見やると、ついさっき打ち負かしたラシュワンが静かに笑っていた。
 ラシュワンは、けがのことを知っていた。エジプトは柔道の強い国ではない。日本人の師匠を招き、嫌というほど練習を重ねてきた。世界最強の山下を倒せば、エジプトでは英雄になれる。豪華な家、高級車…あらゆる富と名誉が、金メダルを取れば手に入ることは分かっていた。
 だが、師匠たちの立てた作戦を、ラシュワンは試合で実行しなかった。正々堂々と、全力で戦い敗れたことは間違いない。ただ、その作戦だけは受け入れなかった。「後悔はない。今、あの時に戻っても、そうはしないだろう」。堂々と、後に語っている。
 ラシュワンが試合で仕掛けたのは「左払い腰」。師匠たちが指令を下したのは「右」の払い腰。つまり、拒否した作戦にはこんな意味合いだった。
 「山下の、けがをした右足を攻めろ」―。=敬称略(国)
   
 (日本トップリーグ連携機構提供)

【コラム】「次世代に伝えるスポーツ物語」 第6回 ラグビー・出会いが変えた人生

2010年 9月 8日

ケンカで学校を支配するはずが、なぜかジャージを着て、楕円形のボールを追いかけていた。いや、追いかけさせられていた、と言ったほうが正確だ。1976年春。伏見工業高校ラグビー部1年、山本清悟(しんご)。中学時代、京都じゅうに名をとどろかせた札付きの不良だった。
 中学3年時ですでに身長180センチ、体重90キロの筋骨隆々の体格。弟分を引き連れ繁華街「弥栄(やさか)」でケンカに明け暮れ、酒をあおった。大人を簡単に打ち負かす強さに、「弥栄の清悟」と恐れられた。
 勉強など無用。導かれるように、当時、県内中の不良たちが集っていた伏見工高に入学した。窓ガラスは割られ、教室にたばこの吸い殻が散乱する荒廃した世界。腕力で、その頂点に君臨するつもりだった。
 だが、入学直後、なれなれしくよって来た風変わりなオヤジのせいで、予定は大幅に狂った。「お前、ケンカ強いやろ。ラグビーはルールのあるケンカ、そんなもんや」。ラグビー部監督の山口良治だった。荒れた学校を、一人で立て直そうと燃える“変人教師”。口車に乗せられ、いつのまにか入部させられた。
 タバコで痛んだ肺では、息があがる。すぐに退部するつもりだった。だが、体を激しくぶつけ合うラグビーが性にあっていたのか。味わったことのなかった、仲間に必要とされる快感が身にしみたのか。いつしか魅力にはまった。2年生で全国高校選抜に選ばれラグビー界に名を馳せると、大学でも名選手として活躍。立派なアスリートに生まれ変わった。
 現在は、高校教師としてラグビーを教えている山本には、今でも忘れられない記憶があるという。実は、訳あって母親のいない家庭で育った。弁当は山本だけがいつもなし。昼食は居場所のない、孤独な時間だった。ある日の昼休み、ひとりでぶらついていると、山口が近づいてきた。「ほれ」。妻に作らせたという、どでかいおにぎりを差し出し去っていった。ラグビーの才能だけではない。山口は、山本という人間を、内面にある寂しさを見抜いていた。優しさに飢えたワルが、1人の大人に魅かれた瞬間だった。
 かつての自分とダブるのか、生徒にはよくこう語りかける。「どんなことでもいいから、目標を見つけて生きろ」。飾り気のない言葉に込める思い。あのとき、山口に出会わず、ラグビーに出会っていなかったら-。
 鋭いまなざしは、こう言っている。「人は、変わることができるのだ」と。=敬称略(国)
  
 (日本トップリーグ連携機構提供)

第2回コーチングセミナー2010

2010年 9月 3日

 第2回のメインゲストは、日本ホッケー協会普及委員会で一貫指導体制のモデルとなるホッケーゴールドプランを立ち上げた寺本祐治氏です。ご存知の通り、同氏は山梨学院大学男子ホッケー部の監督であり、今年の日本リーグにおいて初優勝をされました。地元からは、寺本氏と同年代でもあり、前JOCジュニア育成コーチであった遠藤孝氏においで頂きました。
 今回は、指導者としての役割やホッケー協会におけるコーチシステムの位置づけを、ホッケーの歴史などを通じて触れて頂きました。前回の高橋氏のトップレベルの現状と比較すると、大きな意味合いで子供の年代から大人までを含めてコーチとは何をする人なのか?を示していただきました。コーチのシステムもよくわかりました。印象的であったのは、「学び方を学ぶ」ということ。寺本氏が師と仰ぐオーストラリアのマイケルクレイグ氏が、日本の選手を見て最初に一番重要なことを示した言葉とのこと。コーチに一方的に言われる受け身の姿勢でなく、自分自身がホッケーをどうやって学んでいくか?コーチがそれをどうやって導いていくのか?そして「何を学ぶか?」が本当に生きてくるというお話でした。このあたりは、いい方は違いますが、高橋氏の言っていることと通じていると感じました。おそらく受講生の皆さんもそう感じられたと思います。コーチとして本当に大事なことななんなのか?寺本さん、遠藤さん、ありがとうございました。

▼第2回コーチングセミナー2010 セミナー様子
コーチングセミナー2010.2-1
コーチングセミナー2010.2-2

【コラム】「次世代に伝えるスポーツ物語」 第5回 クラマーコーチと大和魂 メキシコ五輪日本代表

2010年 8月 25日

 「私は、このように全員が持てる力を全て出し尽くしたのを見たことがない」。1968年10月24日、国際サッカー連盟(FIFA)から派遣されメキシコ五輪を視察したデットマール・クラマー氏は、地元メキシコを破って銅メダルを獲得した日本の教え子たちに、胸を熱くした。ピッチでは歓喜に躍動した選手たちだったが、宿舎に戻ると全員がベッドに倒れこんで動けない。水さえ飲めないまま寝入った。戦い抜いた姿にクラマー氏は涙した。
 さかのぼること8年。東京五輪を4年後に控えた1960年10月29日、クラマー氏はドイツから来日し、日本代表コーチに就任する。当時の日本はインド、香港、フィリピンにも勝てずアジアでも下から数えた方が早いサッカー弱小国だった。リフティングも満足にできない選手たちに、クラマーコーチは基本を叩き込む。だが、それだけではなかった。
 「ドイツにはゲルマン魂がある。君たち日本人にも素晴らしい大和魂があるじゃないか。私に君たちの大和魂をみせてくれ」
 少しずつ成長した選手たちは、晴れの東京五輪で8強まで勝ち上がる。特に初戦で南米の強豪アルゼンチンを3-2の逆転で破った試合は、選手たちに自信を与えた。東京五輪後、クラマーコーチはドイツに帰ったが、選手たちは「クラマーのために戦う」と4年後のメキシコに目を向け、強化を続けた。メキシコ五輪代表18人のうち14人が東京五輪代表、つまり、ほとんどが「クラマーコーチの教え子」だった。
 日本は強くなっていた。しかしメキシコには五輪直前の強化試合で0-4と敗れている。アステカスタジアムで始まった3位決定戦は、序盤からメキシコペース。それでも、じっくり守ってカウンターという作戦を立てた日本は慌てず、前半17分と39分に杉山隆一→釜本邦茂の黄金のホットラインから2点を奪う。残る時間、日本は全員で守り抜いた。GK横山謙三は、後半開始早々のPKさえ止めている。
 大会後、報告書を作成した代表コーチの岡野俊一郎氏(現・日本サッカー協会名誉会長)は参加16カ国の実力を評価し、「個人技」で日本を最低の75点とした。「まだまだ差をつけられている」。だが「精神力」は優勝したハンガリーと並ぶ100点。「宿舎に戻った選手たちは、口をきくことさえできなかった」と岡野コーチも振り返っている。
 クラマー氏は日本人の見せた大和魂に胸を熱くした。約束を守りぬいた選手たちの心に泣いたのである。7年後の1975年、ドイツの強豪バイエルン・ミュンヘン監督として欧州チャンピオンズカップ(現・欧州チャンピオンズ・リーグ)を制覇したクラマー監督は、「今が人生最高の瞬間ではないですか」と記者に聞かれ、「いいえ」と答えた。「最高の瞬間は日本がメキシコ五輪で銅メダルを獲得したときです。私は、あれほど死力を尽くして戦った選手たちを見たことがない」
 FIFAはメキシコ五輪からフェアプレー・トロフィーを設置し、最もフェアな敢闘精神を発揮したチームを称えるようになった。第1回受賞は日本代表。そして、クラマーコーチは「日本サッカーの父」と呼ばれるようになった。=敬称略(風)
 
 (日本トップリーグ連携機構提供)

全日本中学生ホッケー選手権大会について

2010年 8月 20日

 小学生大会に引き続き、中学生大会にもやってきましたが、こちらもまた、一回り体のサイズが大きくなっており、グランドの広さがだいぶ圧迫されているイメージがありました。中学生には6人制はちょっと小さいかもしれないというのが実感でした。もっと広いところでのびのびとやらせてあげたい、それほど狭く感じるほどスピード感がましていました。
 中学生の大会は、全国各ブロックの予選を経て勝ち抜いた精鋭の集まる大会でした。なんと男子女子ともに32チーム、計64チームが岡山県赤磐市に終結したわけです。会場は二つに分かれて、男子又は女子の試合を3コートずつでこなしていました。参加チーム数は小学生よりも多く、恐ろしい数ですが、小学生と違ってフレンドリーマッチが無い分試合数は少ないようでした。また、現地で聞いた情報によると、今年までは普及の年として男女各32チームとしてきたようですが、来年からは男女各24チームにするという構想だそうです。いずれにしても、この小学生大会と中学生大会は、この日程でやろうとしたら、全国47都道府県の内、おそらく10くらいしか運営できないのではないかと思います。もちろん、すべて人工芝で行うとした場合ですけどね。
 決勝に残るチームは、すでに大人のようなプレーもありました。これも驚きですが、ぜひとも高校生になってもホッケーを続けてほしいと思います。この小中学生の将来の為にも、ホッケーが続けられる環境を作り続ける使命があるとひしひしと感じた次第です。

▼全日本中学生ホッケー選手権大会2010
全中2010