【コラム】次世代に伝えるスポーツ物語 第201回 ラグビー・田中史朗

2013年 9月 25日

 大男ぞろいの中を、小柄な体が躍動感あふれる動きで、時に突破し、時に素早くパスを回し、つなぐ―。世界最高峰のラグビー・リーグ「スーパーラグビー」。2013年、166センチ、75キロのスクラムハーフ、田中史朗は日本人として初めてその大舞台に立った。スーパーラグビーは、NZ、豪州、南アフリカの強豪3カ国の15チームが参加し、ワールドカップ(W杯)で優勝を争うチームの代表や代表予備軍がしのぎを削る世界屈指のリーグだ。
 1985年1月生まれ、京都府出身。伏見工高1年の時に全国高校ラグビーで優勝。京都産業大を経て、2007年に三洋電機(現パナソニック)に入り、1年目からレギュラーとして活躍していた。そんな田中が、海外挑戦を決意したのは自身初出場となった2011年W杯ニュージーランド(NZ)大会で胸に刻んだ悔しさにあった。この大会で日本は1分け3敗と惨敗。ラグビー人気が長く低迷する中、代表に魅力がなければ人気回復は望めない。「申し訳ない」という思いでいっぱいだった。世界と競える実力を養うには何をすればいいのか-。結論は海外への挑戦だった。
 2012年春。所属するパナソニックの理解も得て、NZに渡り、オタゴ州代表としてプレー。持ち前の素早いパス回しで高い評価を受け、「日本のラグビーも世界に通用する」と手応えをつかんだ。そしてスーパーラグビーのハイランダーズ入りが実現。厳しいポジション争いを経て、2013年2月の開幕戦でいきなり初出場を果たすと、4月には初先発。そして5月には日本人として初トライも決めた。
 「日本人が一人でも多く世界に出て、2019年W杯を成功させたい」。思いは一つの成果をも呼び込んだ。6月、日本代表対ウエールズ代表。過去12回対戦して全て負けていた相手に初めて勝利し、「歴史を変えることができた」と涙を流した。
 2019年W杯では、「日本の試合を全部満員にしたい」と田中。だからこそ強くありたい。「ここ(ウエールズ戦勝利)がスタート。全員でまとまって、勝ち続けていく」。6年後を見据え、さらなる成長を誓い、楕円球と格闘する日々を送る。=敬称略(昌)


(提供 日本トップリーグ連携機構)

トップリーグ9/22試合結果/フラーテル・カップ

2013年 9月 25日

フラーテル・カップ2013-14 トップリーグ

●遠藤JAPAN 0-3 三好クラブ○
○AMANO CLUB 1-0 FHSC●
○橘クラブ 3-0 名古屋工業高校●
○遠藤JAPAN 4-0 愛知産業大学工業高校●
●三好クラブ 0-1 AMANO CLUB○

【コラム】次世代に伝えるスポーツ物語 第200回 バスケットボール・大神雄子

2013年 8月 28日

 「これからも海外に飛び出す選手が増えていくように願いも込めて、頭からダイブしてきます」
 2013年6月、バスケットボール女子日本代表のエース、大神雄子(30)は昨季までプレーしたWリーグのJX-ENEOSを退団し、海外のリーグに挑戦する意向を短文投稿サイトのツイッターに明らかにした。
 1982生まれ、山形市出身。7歳のときから1年間暮らした米国で、男子プロリーグNBAのスーパースターだったマジック・ジョンソンを知り、憧れて競技を始めた。本場のプレーに魅了された少女は、めきめきと力をつけていく。桜花学園高(愛知)では1年からレギュラーとして活躍。2年のときにはインターハイ、国体、ウィンターカップの3冠を達成した。2001年にジャパンエナジーに入社。21歳で2004年アテネ五輪に出場し、2008年には世界最高峰の米プロリーグWNBAのマーキュリーでプレー。萩原美樹子に続く2人目の日本人WNBAプレイヤーとなった。
 身長170センチ。この競技では小柄だが、スピードあふれる突破と正確なシュートが持ち味のガードとして日本が10位だった2010年の世界選手権では外国の選手を抑えてトップの1試合平均19・1得点をマーク。昨年は予選であと1勝すれば、2大会ぶりとなる五輪、ロンドン大会出場がかなうところまで行きながら、敗退した。そして、この五輪最終予選での敗退が、大神の気持ちを大きく揺さぶった。「サッカーのなでしこジャパンみたいに、どんどん海外に飛び出して行かないと」―。
 大好きなバスケットボールが日本でもっともっと認知されるためには、日本代表が強くならなければならない。来年には世界選手権が控え、3年後にはリオデジャネイロ五輪が待つ。立ち止まっているわけにはいかなかった。五輪最終予選を控えた昨年3月には、疲労骨折した右足甲をボルトで固定する手術を受けた。長年、酷使してきた体は満身創痍の状態だろう。それでも3年後の五輪を目指し、決断するのはいまだった。日本の実力を上げるためには、海外にいくしかない。自らが率先して代表チームに新たな流れを持ち込む以外にない、と―。
 海外リーグへの挑戦を明らかにした6月。仙台と東京でモザンビークとの親善試合が行われた。3連勝を飾った日本女子代表。その主将を務めた大神は、会場でリオデジャネイロ五輪出場を誓った。バスケットを始めて以来、持ち続ける情熱はいまだ衰えてはいない。=敬称略(昌)


(提供 日本トップリーグ連携機構)

JDHクリニック大盛況!!/ホッケー

2013年 8月 21日

8/14(水)に、オーストラリアホッケー代表選手であるジェイミー・ドワイヤー氏によるホッケークリニックを名古屋で開催しました。小学生から大人まで約150人がグランドに集まり、世界トッププレイヤーからの指導に酔いしれました。

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ミックスリーグ7/28試合結果/フラーテル・カップ

2013年 7月 31日

フラーテル・カップ2013-14 ミックスリーグ

●RISING CA 1-3 グランティーオス○
●名古屋国際高校女子 0-10 フラスケット木曽川○(オープン戦3-1) 
○ZeFF.758 4-0 向陽Pixies○
●丘の上のCA 2-3 Primrose
●FHSC 3-4 フラスケット木曽川○
○グランティーオス 10-0 名古屋国際高校女子●(オープン戦2-3) 
●RISING CA 0-2 ZeFF.758○
△向陽Pixies 1-1 Primrose○
●FHSC 0-10 丘の上のCA○(オープン戦2-1

名古屋国際中学校は全中予選参加のため不参加。

ジュニアリーグ7/28試合結果/フラーテル・カップ

2013年 7月 31日

フラーテル・カップ2013-14 ジュニアリーグ

△大口 2-2 村雲△
●朝日丘 1-2 木曽川・成岩○
○村雲 2-1 木曽川・成岩●
●朝日丘 0-6 大口○
●木曽川・成岩 1-5 大口○
●朝日丘 0-2 村雲○

トップリーグ7/28試合結果/フラーテル・カップ

2013年 7月 31日

フラーテル・カップ2013-14 トップリーグ

○AMANO CLUB 5-0 名古屋工業高校●
●向陽高校 0-2 橘クラブ○
○遠藤JAPAN 4-0 愛知産業大学工業高校●
○名古屋工業高校 2-1 名古屋国際高校●
○FHSC 2-0 橘クラブ●

JDHクリニック開催のお知らせ/ホッケー

2013年 7月 26日

今夏、名古屋にて現オーストラリア代表のジェイミー・ドワイヤー選手によるホッケークリニック開催が決定いたしました。ジェイミー・ドワイヤー選手は、サッカー界でいうリオネル・メッシ選手のような存在です。彼自身が直接コーチングするというのはとても貴重なチャンスです。子どもから大人まで対象は幅広く設定されておりますので、是非ご参加ください。参加人数には限りがありますので、定員となり次第、募集を締め切らせて頂きます。詳細は、以下の通りです。

■ 開催日  平成25年8月14日(水)小雨決行

Session1 09:30~11:30 対象/小学生・中学生
Session2 13:00~15:00 対象/高校生・大学生
Session3 15:30~17:30 対象/大学生・一般

■ 場所   名古屋国際中学・高等学校グラウンド【名古屋市昭和区広路本町1-16】

▼アクセス
地下鉄鶴舞線及び地下鉄桜通線「御器所」駅下車、2番出口より徒歩5分。
※駐車場はございませんので、公共交通機関をご利用の上、お越しください。

■ 参加費  1session 4,200円(JDHオリジナルTシャツ付)
120分(クリニック90分+サイン会30分)
※クリニック中は、通訳がサポートします。

■ 参加申込(メールor郵送)
▼申込内容
「氏名」、「年齢・学年」、「所属チーム」、「ホッケー経験の有無」、「連絡先(住所・電話番号)」
・メール送付先 [email protected] 担当:三好浩史
・郵送先    〒450-0002名古屋市中村区名駅4-2-11 NPO法人愛知スポーツ倶楽部宛

■ ジェイミー・ドワイヤー(Jamie Dwyer)プロフィール
4歳の時にホッケーを始め、2001年オーストラリア代表デビュー。
特に2004年のアテネ五輪では、優勝を決める決勝ゴールを上げるなど、オーストラリア代表の数多くのタイトル獲得に貢献。
FIHが行う最優秀選手賞を5度受賞。
今なお、オーストラリア代表として代表チーム欠かせない存在である。
現在は、選手として活動する傍ら、ホッケークリニックを行うなど、多方面で活動中。

 

■ 詳しい情報はコチラまで 

 Jamie Dwyer 公式サイト >>>

【コラム】次世代に伝えるスポーツ物語 第199回 ボクシング・河野公平

2013年 7月 24日

 2012年12月31日。引退の危機にあったボクサーが一転、鮮烈なKO勝ちを演じ、王座をつかみ取った。河野公平、32歳。3度目の世界挑戦となった世界ボクシング協会(WBA)スーパーフライ級タイトルマッチでのことだった。
 相手は、テーパリット・ゴーキャットジム(タイ)。下馬評は圧倒的に不利。それでも愚直に前に出た。この強気の姿勢が4回、実る。短い左フックが炸裂すると、たまらず崩れ落ちる王者。河野はさらに突進して再びダウンを奪う。そしてロープ際で連打。レフェリーが試合終了を告げた。
 「最高にうれしい。本当に努力は裏切らないと信じてやってきて良かった」
 1980年11月、東京都目黒区生まれ。ボクシングを始めたのは、陸上部に所属していた高校時代に、「6カ月でプロボクサーになる」という本を読んだことがきっかけだった。ほどなく母親の反対を押し切ってワタナベジムの門をたたいた。2000年11月にプロデビュー。初戦は判定負け。「負けたら辞める」と臨んだ2戦目に勝利して王座へと続く”階段”を上り始めた。
 2007年2月に日本スーパーフライ級を、同年10月には東洋太平洋同級王座を獲得した。世界挑戦の機会が訪れたのは翌年9月のことだった。WBAスーパーフライ級王座決定戦。だが、初挑戦は、名城信男に判定で屈した。さらに2年後の2010年9月、世界ボクシング評議会(WBC)同級王座決定戦に挑むも、トマス・ロハス(メキシコ)にやはり判定で敗れた。その後、日本タイトルの奪取に失敗し、プロ3戦目の若手にも敗北を味わった。「毎日のように辞めようかと悩んでいた」。そんな苦しい時期を経て、2012年3月、「負けたら引退するので、最後に世界ランカーと勝負させてください」と直訴した。その後、世界ランカーに勝ったことで、3度目の世界への挑戦が実現した。
 テーパリット戦に向けて、短いパンチを磨いた。ダウンを奪った左フックもその成果だった。「狙って打ったというより自然に体の流れで出た」とうなずいた。家族の支えも大きかった。デビュー戦で黒星を喫した後に、ボクシング経験のない父親が自宅で練習できるようにと、リビングに可動式のサンドバッグをつるしてくれた。時間があれば、ミットを手に練習にも付き合ってくれた。「ここまで来られたのは父と母のおかげ」。王座を獲得した河野がこう涙交じりに感謝の言葉を絞り出した理由だった。
 5月6日の初防衛戦では再び苦い思いを味わわされた。リボリオ・ソリス(ベネズエラ)にまたも判定負け。「ジャッジが向こうびいきだったと思う。悔しい。(今後については)しばらく何も考えたくない」と唇を引き結んだ。夢を追い続け、ひたむきな努力で引退の瀬戸際から頂点に立ったボクサーは、今回の”危機”に際して、どんな決断をするだろうか-。=敬称略(昌)


(提供 日本トップリーグ連携機構)

START!/ノルディックウォーキング

2013年 7月 18日

愛知スポーツ倶楽部、第3種目めとなる「ノルディックウォーキングスクール」をスタートしました。
ノルディックウォーキングとは、「ポール」と呼ばれる、スキーで使用するストックのようなもので、ウォーキングを補助し、通常のウォーキングに更に負荷を懸けて行うフィットネスです。
名古屋市内ではなかなか見かける機会の少ないノルディックウォーキングですが、是非一度一緒にやってみませんか?9月までは、毎週庄内緑地公園にて開催します。詳細については、[email protected]までお問い合わせください。

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