ボールゲームフェスタ in AICHI開催!

2011年 3月 9日

 日本トップリーグ連携機構主催によるトップ選手と地域の子供たちとの交流を図るために、全国で年に2〜3回開催される「ボールゲームフェスタ」が、in AICHI として、半田市のソシオ成岩スポーツクラブにおいて開催されました。今回の球技は、バレーボール、バスケットボールとホッケーの3 つの競技が行われました、バレーボールの大林素子さんらそうそうたるメンバーの中に、名古屋フラーテルのメンバーも一緒に講師として参加。午前中は小学校の低学年約100名による3種目体験会、午後は小学3年生以上約100名(ホッケーは50名)の経験者によるクリニック事業が行われました。それ以外にも、ご両親や地域スポーツの指導者などに、「ボールで遊ぼう!」の講習会と、「子供に必要な食事と栄養補給」についての講演会などが開催されました。
 子供の内にいくつかのスポーツを体験し、自分が好きなスポーツや自分に適しているスポーツを学ぶことと、複数のスポーツを行うことにより、偏りのないバランスのとれた体作りができます。また、それをご両親や地域の指導者が理解を深めることにより、将来のオリンピック選手を育てることに繋がることになります。そういった社会を全国に広めることが、このボールゲームフェスタの意義であると思います。皆さんの地域で行われる時には、ぜひ参加して下さい!

▼日本トップリーグ連携機構サイト
http://www.japantopleague.jp/jtlnews/news_20110303_01.html

▼ソシオ成岩スポーツクラブサイト
http://www.narawa-sportsclub.gr.jp/socio/clublife/22/22_22.htm

▼ボールゲームフェスタ in AICHI 風景1
ボールゲームフェスタ in AICHI 風景1

▼ボールゲームフェスタ in AICHI 風景2

ボールゲームフェスタ in AICHI 風景2

名古屋オーシャンズと交流!日本初のインドアホッケー!?

2011年 3月 9日

 かねてから名古屋の日本リーグ参加チームとして交流を始めている名古屋オーシャンズ。スポーツは違えど、名古屋から発信するスポーツへの情熱は同じ。3月8日に、彼らのホームであるオーシャンスタジアムの運営を手掛ける株式会社バンフスポーツ様のご協力を頂き、オーシャンスタジアムにおいて、インドアホッケーのデモンストレーションを行ってまいりました。インドアホッケーとフットサルは、コートの大きさ、ゴールの大きさが同じ。道具以外の唯一の違いは、インドアホッケーの場合、サイドラインに木の角材が使われていることだけ。フラーテルからは、小澤和幸選手と錦織拓ヘッドコーチに参加して頂き、デモンストレーションを行って頂きました。その後、バンフスポーツの皆さんも実際にスティックを使ってホッケーをやって頂きました。しばらく楽しんでいた時、名古屋オーシャンズの選手たちが来場。彼らもスティックを持ってホッケーを楽しんでくれました。特にポルトガルからきたスーパースターのリカルジーニョ選手のスティックさばきは経験者とおなじで、すぐにリフティングを始め、ストロークも様になっていました。期せずして、ホッケーの日本の第一人者、アジア大会優秀選手に選ばれた小澤和幸選手と、リカルジーニョ選手のホッケーリフティングコラボレーションができました。
 まだ、正式導入には至っておりませんが、今後とも日本初のインドアホッケースクール開校を目指し、名古屋オーシャンズ及びバンフスポーツの皆さんにご協力をお願いしていきた体と考えています!

▼小澤選手 in オーシャンスタジアム
インドアホッケー1

▼リカルジーニョ選手のスティックさばき

インドアホッケー2

ホッケー日本リーグ機構 GM研修会参加!

2011年 3月 9日

 近年、その重要性が増しているスポーツチームのGM。3月5日に、東京のナショナルトレーニングセンター会議室において、今年度のホッケー日本リーグ機構のGM研修会が開催されました。名古屋フラーテルホッケーチームからは、多忙の東谷GMに代わり、錦織ヘッドコーチが参加致しました。今回は、日本トップリーグ連携機構の相原正道氏コーディネイトにより、なでしこリーグの岡山湯郷ベル、噂のGM黒田和則先生に講義をお願いいたしました。GMの役割は何か?チームの為になすべきことは何か?チームの存在意義は何か?単なる座学でなく、実際にクラブを立ち上げ、岡山という地にありながら、日本のトップを目指しオリンピック選手を輩出するという実績を残した黒田さんならではのお話でした。もちろん、名古屋フラーテルホッケーチームや愛知スポーツ倶楽部のおかれている環境とは違いますが、重要なことは何かを学ばせて頂いた有意義な講習会でありました。相原さん、黒田さん、ありがとうございました。

▼ホッケー日本リーグ機構 GM研修会1
HJLGM研修会1

▼ホッケー日本リーグ機構 GM研修会2

HJLGM研修会2

第10回コーチングセミナー2010-11

2011年 2月 23日

 2月19日、前回に引き続き、日本体育協会ホッケー上級公認コーチの永井氏、及び同公認コーチの遠藤氏においでいただきました。今回は今年度の最終の講義となり、今年度1年間のまとめを行って頂きました。日本代表チームの高橋コーチの講義からスタートし9回に及ぶ講習会のまとめと解説を2名の講義の中で行って頂きました。それぞれが、内容の濃い講義であったために振り返りの時間が更に有効な時間となったと思います。
 愛知スポーツ倶楽部は、来年度についても継続したセミナーを開催していきたいと思っています。どうぞご期待下さい。

▼第10回コーチングセミナー2010-11 セミナー様子 
コーチングセミナー2010.10

練習2011年2月/トライアスロン

2011年 2月 23日

 2月19日(土)トライアスロンスクール行いました。先週のスイムトレーニングでかなりの距離を泳ぎました。今回の舞台は平和公園。非常に寒い朝でしたので、最初ウォーキングで体を慣らし、体の血行を良くして、準備を整えました。その後、大きく2周ランニングトレーニングを行いました。次回は、東山公園で行う予定です。

▼トライアスロン教室 ウォーキング前
TS1

【フラーテル・カップ2010-11 2月16日】

2011年 2月 16日

 2月13日の日曜日、庄内緑地公園にてフラーテル・カップが開催されました。今回はミックスリーグとジュニアリーグが午前中に行われ、トップリーグが午後に行われました。
 トップリーグはレギュラーシーズンが先月終了し、最後の2回は11人制にトライすることになりました。中でもレギュラーシーズンの上位2チームがいきなり一回戦で顔を合わせたAMANO CLUBと橘クラブの一戦は、非常に見ごたえのある試合となり、1点を争う事実上の決勝戦といってもいいカードとなりました。最終的には、PS戦で、AMANO CLUBがレギュラーシーズンの借りを返した形。また、高校生同士の試合となった愛知産業大学工業高校対名古屋国際高校の試合も負けず劣らずの好試合。スピードと勢いのある愛産大工校が攻勢に出るも地力に勝る名古屋国際が得意の個人技で相手を振り切り準決勝進出を決めました。もうひと試合は、三好クラブが向陽高校を振り切り同様に準決勝へコマを進めました。

 今シーズン初めても試みで行った11人制の試合。やはり面白いですね。できれば、トップリーグは早い段階で11人制に移行することが望ましいと実感した次第です。

▼フラーテル・カップ2010-11 試合直前

FC2010-11.2-2

▼フラーテル・カップ横断幕
FC2010-11.2-1

 【コラム】「次世代に伝えるスポーツ物語」 第15話 レスリング・日本レスリングの父、八田一朗

2011年 2月 9日

 「剃るぞ!」。ふがいない負け方をした選手に浴びせたこの“脅し文句”。生みの親は日本レスリングの育ての親、八田一朗である。始まりは、目標に遠く及ばない銀メダル1個に終わった1960年ローマ五輪後に、八田の命令で役員、コーチ、選手が頭の毛はもちろん、下の毛も剃って再起を誓ったことからだという。
 「剃るぞ!」ばかりではない。「ライオンとにらめっこ」や、合宿では夜通し電灯をつけたままマット上で寝るなど、「八田イズム」と呼ばれたスパルタ教育は枚挙にいとまがない。だが、八田は「精神力」ばかりを追い求めた指導者であった訳ではなかった。
 日本レスリング協会会長の福田富昭は「そりゃ練習は厳しかった。でも強くなるにはどうしたら良いかを常に考えていた方で、科学的、合理的でもあった」と振り返る。どういうことか。福田は続ける。「まず選手に負けた言い訳をさせなかった。選手は負けると、その理由を実力以外のところに求めたがる。例えば『夜眠れなかった』とか、海外の試合では『コメが食べられず、力が出なかった』とか…。すると、八田さんは普段からどんな状況でも眠れるようにすればいいと、実際に合宿で実践する」というのだ。ライオンとのにらめっこにしても、狙いは話題を提供することだったらしい。マイナー競技だったレスリングに注目を集めることで、「選手を発奮させたかったのでしょう。レスリングに関する記事は批判も含め、すべて歓迎でした」というのだ。
 八田がそこまでレスリング強化に打ち込んだ理由はどこにあるのか。八田とレスリングの出会いは、早大柔道部が柔道普及のために米国遠征した1929年春に遡る。メンバーの1人だった八田が体験したワシントン大学レスリング選手との他流試合が、その後の人生を決定づけることになった。双方とも柔道着を着ての試合は早大の圧勝だったが、道着を脱いでの試合では散々に痛めつけられたのだ。初めて接する格闘技に、まるで歯が立たぬ惨敗。八田は帰国後、学内でレスリングの重要性を説いて回る。柔道にとってもレスリングを研究しておくことが役に立つとの考えでもあったが、異端児扱いされたことは想像に難くない。ならば「オレが」とばかりに、31年に早大にレスリング部を創部。翌年のロサンゼルス五輪には八田自らフリースタイル・フェザー級の選手として出場するが、惨敗。それでも、ここで引き下がる訳にはいかない。指導者として闘志を燃やし続けた。
 ロンドン留学の経験もある八田は、選手に留学を奨励。実際、米国はもちろん、レスリングの強い西アジアなどにも盛んに選手を送ったほか、英語の勉強やテーブルマナーにもうるさかったという。「剃るぞ!」からは想像できない一面だ。
 努力は実る。64年東京五輪。レスリング会場となった駒沢体育館は5個の金メダルに沸いた。表彰式後、白髪の紳士が宙を舞う。八田だった。その後、参院議員1期を務めるなど、スポーツ界の地位向上に尽力し、83年に76歳で他界。その一徹な生き方は、誤解を生むこともあったが、レスリングを日本の“お家芸”に育て上げた最大の功労者であることは間違いない。=敬称略(昌)

「足元から体を健康にし、日本を元気にしたい」夢の扉(TBS系列)放送しました。

2011年 2月 3日

 愛知スポーツ倶楽部のコーチングセミナーでおなじみの広島大学浦辺幸夫教授の、「外反母趾を靴下で補正」という研究が2月6日18:30〜「足元から体を健康にし、日本を元気にしたい」夢の扉(TBS系列)で全国放送されます。浦辺先生ならではの非常に画期的なアイディアであると思います。皆さんも是非ご覧ください。

▼コーチングセミナーで講演する浦辺幸夫教授
コーチングセミナーで講演する浦辺幸夫教授

第9回コーチングセミナー2010-11

2011年 2月 2日

 1月29日、日本体育協会ホッケー上級公認コーチの永井氏と同公認コーチの安井氏においでいただき、特にホッケーコーチとしての総合的な講義を行っていただきました。内容としては、インドで行われた男子のワールドカップから現在の世界的な戦術のセオリー、前回、前々回のジークフリード氏のジュニア指導法に関する解説、ルール変更に伴う今後の戦術的な取り組みについての提案を行って頂きました。また、怪我に関する対応などについても基礎的な部分の説明を受けました。

▼第9回コーチングセミナー2010-11 セミナー様子 永井氏講義
コーチングセミナー2010.9

【コラム】「次世代に伝えるスポーツ物語」 第14話 フィギュアスケート・伊藤みどり

2011年 2月 2日

 五輪の開会式で聖火を灯す大役は、開催国が誇る往年の名選手が担うことが通例となっている。1998年長野冬季五輪でその大役を務めたのは、92年アルベールビル五輪銀メダリストの伊藤みどり。安藤美姫の4回転ジャンプ、浅田真央のトリプルアクセル(3回転半)と、いまや高度なジャンプ抜きでは世界の頂点を狙うことができない女子フィギュアスケートだが、かつては芸術性だけが重んじられ、ジャンプ力が注目されることはなかった。その流れを変え、フィギュアスケートをよりスポーツらしくしたのが、伊藤だった。
 4歳でフィギュアスケートを始めた伊藤は、その才能を見抜いた山田満知子コーチの自宅に小学1年生から住み込み、徹底した指導を受け、1980年に小学4年生で出場した全日本選手権で3位に入り、あっという間に世間の注目を集める存在になる。高々と跳ね上がり、次々とジャンプを決める演技スタイルと愛くるしい笑顔は、海外で「TSUNAMI(津波)ガール」との称号を得た。そして、88年の愛知県選手権では、女性として史上初めてトリプルアクセルに成功し、翌89年の世界選手権ではアジア女性初の金メダルを獲得。続々と歴史を切り開いていった。
 その競技生活のクライマックスは92年のアルベールビル五輪フリー。伊藤は演技前半に予定していたトリプルアクセルで転倒してしまう。だが、「五輪でどうしても跳びたかった」との思いから後半に再び挑み、見事に成功。日本フィギュア界に初のメダルをもたらしたが、順位よりも、疲れがたまり成功率が低くなる後半にあえて再びトリプルアクセルに挑んだ不屈の精神こそが、世界中に感動を与えた。
 伊藤がトリプルアクセルを成功させてから今年で20年が経ち、現在は、伊藤と同じ山田門下生の中野友加里、浅田真央の2人が、トリプルアクセルを得意技にして世界の頂点を目指している。伊藤の努力と功績はしっかりと後輩に影響を与え、日本フィギュアスケート界の繁栄を陰で支えている。=敬称略(謙)