ミックスリーグ10/19試合結果/フラーテル・カップ

2014年 10月 29日

フラーテル・カップ2014-15 10/19(日)ミックスリーグ

◎サムライリーグ
●フラスケット木曽川 1-2 グランティーオスB○
●FHSC 2-6 フラスケット木曽川○
●FHSC 3-5 グランティーオスB○
※名古屋国際A・Bは試験期間のため、グランティーオスAはチーム都合のため、不参加

◎さくらリーグ
●向陽Elves 0-2 村雲○(オープン戦)
●丘の上のCA 0-7 ZeFF.758○
●向陽Pixies 0-6 村雲(オープン戦)
○向陽Elves 4-1 RISING CA●
●向陽Pixies 0-3 ZeFF.758○
△丘の上のCA 1-1 RISING CA△
※Primroseは、チーム都合のため不参加。

トップリーグ10/19試合結果/フラーテル・カップ

2014年 10月 29日

フラーテル・カップ2014-15 10/19(日)トップリーグ

○FHSC 2-0 向陽●
●遠藤JAPAN 0-1 AMANO CLUB○
●名古屋テクニカル 1-3 橘クラブ○
○愛産 1-0 向陽●
○FHSC 2-0 遠藤JAPAN●
○AMANO CLUB 3-0 名古屋テクニカル●
△橘クラブ 0-0 愛産△
○AMANO CLUB 2-0 向陽●
名古屋国際高校は試験期間のため、不参加。

ミックスリーグ9/28試合結果/フラーテル・カップ

2014年 10月 8日

フラーテル・カップ2014-15 9/28(日)ミックスリーグ

◎サムライリーグ
○フラスケット木曽川 8-2 FHSC●
△名古屋国際B 3-3 グランティーオスA△
○名古屋国際A 2-0 フラスケット木曽川●
○名古屋国際B 6-1 FHSC●
○名古屋国際A 2-1 グランティーオスA
※グランティーオスBはチーム都合のため、不参加。

◎さくらリーグ
○RISING CA 4-0 村雲●
●丘の上のCA 2-3 Primrose○
●RISING CA 0-2 ZeFF.758○
●丘の上のCA 0-1 村雲○
○ZeFF.758 7-0 Primrose●
※向陽Pixies,向陽Elvesは、試験期間のため不参加。

本日9/29(土) フラーテル・カップ・ジュニアリーグ中止のお知らせ

2014年 9月 29日

本日予定しておりましたフラーテル・カップは、荒天のため、中止を決定いたしました。
トップリーグ、ミックスリーグ、ジュニアリーグ全日程の中止となります。

名古屋市『スポーティブ・ライフ月間イベント』

2014年 9月 24日

平成25年3月に策定されました、「名古屋市スポーツ推進計画」に基づき、名古屋市では10月1日(水)から11月30日(日)を『スポーティブ・ライフ月間』として、市内のスポーツ施設で様々なイベントが行われます。
そして、その中でも最大規模のイベントが11月24日(月祝)に瑞穂運動場にて開催されます。ラジオ体操やウォーキングなど様々なスポーツを体験するプログラムが企画されていますが、名古屋市のトップアスリートによるトークライブ(でらスポ★トークライブ)とクリニック(でらスポ★スタジアム)には、名古屋フラーテルの選手数名も参加致します。
詳細につきましては、以下のURLよりご確認下さい。

(名古屋市公式webサイト内より)

2014-15シーズン開幕/フラーテル・カップ

2014年 8月 6日

7月27日(日)に、フラーテル・カップが開幕しました。
今シーズン、トップリーグは8チーム、ミックスリーグは13チーム、ジュニアリーグは5チームで運営されます。
トップリーグは参加チームのニーズに合わせて、昨年行われた9人制から11人制へと移行しました。
ミックスリーグは、男女で更に2つのリーグに分けることで、技術的・身体的な差異がなくなるため、よりレベルの高い試合が繰り広げられるでしょう。
また、開幕戦にはクラブのホッケートップチームである名古屋フラーテルホッケーチームが参加し、参加者の皆さんとホッケーを楽しみました。

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2014年6月/ホッケー

2014年 6月 18日

先日、社会人チームの全国大会の東海ブロック予選が開催されました。
男子にはPHOENIX名古屋が、女子にはZeFF.758が出場しました。
PHOENIX名古屋は全国大会出場を決めましたが、ZeFF.758は残念ながら岐阜県のチームに延長戦の末敗退しました。
全国大会は、7月に和歌山県にて開催されます。

【コラム】次世代に伝えるスポーツ物語 第215回  柔道・岡野功 

2014年 5月 28日

 事実上の決勝戦と見られていたのが準決勝の金義泰(韓国)戦だった。1964年東京五輪。この大会から正式競技となった柔道の中量級(80キロ以下)には20選手が参加した。岡野は準々決勝まで危なげなく一本勝ちを続け、そして迎えた準決勝。右の組み手をしっかり取ると、連続で得意の背負い投げを繰り出す。序盤から攻めに攻めたが、4月に痛めた右膝負傷の影響もあってか、決めきれず、判定にもつれ込んだ。それでも終始攻め続け、小外掛けで相手を横転させての優勢勝ち。決勝で対戦したホフマン(西ドイツ=当時)からは横四方固めで一本勝ちを収め、期待通りに金メダルに輝いた。
 1944年1月生まれ、茨城県出身。竜ヶ崎一高から中大法学部に進み、在学中に東京五輪を迎えた。柔道を始めた動機の一つが「ケンカが強くなりたいから」とも。初めて買ってもらった柔道着を宝物のように大切に扱ったという。穴があけば、つぎあてをし、寝るときには枕元に置いた。道場に通う子供はみなそうだった。そういう時代だった。
 柔道の魅力を知り、才能を開花させていった少年は、小さな体から繰り出す切れ味鋭い一本背負いが武器。五輪を迎える頃には「昭和の三四郎」とも呼ばれた。技の切れ味ばかりではない。自らを冷静に分析することもできた。五輪前に負傷した右膝を抱えて大舞台に臨むことを考え、寝技を重点に練習を積んだ。それが狙い通りに五輪の決勝で生きた形だった。
 翌1965年、岡野は初めて体重別で行われたリオデジャネイロ世界選手権の中量級でも圧勝。すでに、この階級では国内外に敵はいなくなっていた。そして当時は、無差別級こそ柔道―という思考が色濃く残っていた時代。体重別で行う五輪などとは違い、体重無差別で争う全日本選手権が世界一を争う舞台とも見られ、いま以上に注目を浴びていた。中量級に敵がいなくなった岡野にとっても目標はそこになっていた。
 金メダルを獲得した五輪から3年後、1967年の全日本選手権を制覇した。身長171センチ、体重78キロの体で無差別級王者に。まさに柔よく剛を制す―だった。体さばきとタイミングで一本背負いを繰り出し、大型選手を撃破した。2年後の1969年にも再び全日本の頂点に立つ。そして引退。引退後は道場を設立し、各大学で師範を務めるなど、後進の育成に尽力した。=敬称略(昌)

(提供 日本トップリーグ連携機構)

実行委員会開催/フラーテル・カップ

2014年 5月 28日

5/18(日)に、フラーテル・カップ実行委員会が開催されました。
シーズンを振り返っての報告や今後の課題などが、各リーグのチーム代表者及び大会関係者によって話し合われました。
全体での話し合いを終えると、各リーグの関係者ごとに分かれ、更に細部に渡った熱い意見交換が行われました。
また、実行委員会の前には、ルール研修会を行い、年々変わっていくホッケーのルールの確認を行いました。

 

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【コラム】次世代に伝えるスポーツ物語 第214回 水泳・ベルリン五輪競泳男子800メートルリレー

2014年 4月 30日

 エース萩野公介(東洋大)の台頭をきっかけに、競泳男子自由形を重点強化中の日本。中でも800㍍リレーはその国の自由形の実力が反映されるだけに、注目種目となっているが、以前は男子自由形、そして男子800メートルリレーが「お家芸」と呼ばれた時期もあった。
 1936年ベルリン五輪。大会11日目に行われた男子800㍍リレーはまさに圧巻だった。メンバーは1915年1月生まれの21歳、遊佐正憲(香川県出身)、1916年1月生まれの20歳、田口正治(京都府出身)、やはり1916年8月生まれの新井茂雄(静岡県出身)、そして1917年5月生まれの19歳、杉浦重雄(静岡県出身)の若手4人。このうち、前回五輪で同種目を経験していたのは遊佐だけで、他の3人は五輪の舞台に立つのも初めてだった。それでも期待が大きかったのは、遊佐と新井が100メートル自由形の優勝候補にも挙げられるほどの実力の持ち主だったからだ。
 期待が大きく膨らむ中、第1泳者の遊佐がスタートよく飛び出し、第2泳者の杉浦もその勢いをつなぐ。そして第3泳者の田口から、アンカーの新井にリレーしたときには独走状態で、注目は金メダルの行方ではなく、タイムに注がれていた。歓声の上がる中、2位米国に15メートルもの大差をつけてゴール。前回1932年ロサンゼルス五輪で日本がマークした世界記録8分58秒4を、7秒近くも更新する8分51秒5の世界新記録で五輪連覇を達成した。
 驚異的な記録の誕生には、伏線があった。800メートルリレー同様、前回ロサンゼルス五輪で金メダル(宮崎康二)に輝いていたのが100メートル自由形。この大会では当然、日本勢2連覇の期待がかかっていた。だが、思わぬ形で足下をすくわれてしまった。田口も含めて3人が進んだ決勝。日本勢同士で意識し合ったのか、伏兵のチック(ハンガリー)に金メダルをさらわれ、0秒3差の57秒9で遊佐が銀メダル、銅メダルに新井、そして田口は4位に終わった。「水泳ニッポン」としては、800メートルリレーは、優勝を逃した100メートルの雪辱の舞台でもあったのだ。
 800メートルリレーは、戦後も日本のお家芸として継承され、1952年ヘルシンキ五輪で銀メダル、1960年ローマ五輪でも銀メダル、1964年東京五輪では銅メダルを獲得している。だが、その後、男子自由形は世界のパワーの前に水をあけられ、メダルを獲得できない状況が続く。復活が待たれる。=敬称略(昌)

(提供 日本トップリーグ連携機構)